桜に塗り替えられるように
あたらしい年度がはじまった。
ゆったりとした流れの中に、まだ花びらが浮いている。
たくさんの写真を撮った。
思い出もつくった。
これからを楽しみにする気持ちもある。
楽しんだこれまで、をどうやって仕舞っていけばいいのか
わからなくって
途方にくれている。
私は写真を撮るから、たくさんの写真を撮るから
パソコンの中には膨大なデータがある。
写真を撮る動機がそもそも「忘れたくない」だから
適宜それらを掘り起こして、思い出したいのに
適宜って?どんなときに?どの写真を?
選ぶのもけっこうしんどい。
時系列でみていると分かる、ブレブレの、だけど
楽しさが詰め込まれているような一枚だとか
映りのいいだけのものと、構図が変だけどいい笑顔のものを一択するとか、
ひとつひとつの作業が、心にとって重たい。
チケットの半券、パンフレット、お手紙
そういう物理的なものも、どう扱えばいいのかわからない。
大きさがまちまちだし、まとめてしまうと見づらいし。
アドバイスをいただいて、封筒みたいなものにまとめることを
少し考えている。
1年に一枚。やるなら揃えていきたいし、
スタンダードで、毎年買えるようなものを探している。
「どうして写真を撮るんだろうね」
という会話をした。
「承認欲求だよ。いいね!がほしいんだよ」
スマートフォンを持つ人が多くなってからは確かにそういう風潮を感じる。
facebookみたいに、時系列で整理された、
多くの友人を巻き込んで再生する思い出は
ひどく正しくてむなしい。
オープンになると、共有された思い出と、土産話とがいっしょくたになって、歪んでいくような感覚がある。
紐解く場所を探している。
あるいは、作る必要があると思う。
始まりに立つと、いつも終わりが気になってしまう。
終わったあとに、どこに収まればいいのだろう。
今週のお題特別編「春を感じるとき」
〈春のブログキャンペーン 第1週〉