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子供の頃に欲しかったもの

嫌な話をする。

 

私が子供のころに欲しかったものは、

ランドセルだ。

もちろん、持っていなかったわけじゃない。

普通のランドセルは与えられた。

でも違うんだ。

あれは、私の欲しかったものじゃない。

こんなの、全然欲しくなかった。

そう思いながら6年間を過ごした。

 

最初にランドセルというものを認識したのは

母が見せてくれた通販カタログだった。

「来年から小学校に通うから、ランドセルを選ばなきゃね」

と、見せてくれたカタログには

当時かなり珍しい青やピンクのものが掲載されていて

心が躍ったことを覚えている。

母はけっこう通販を活用していて、

今でこそ珍しくないけれど、お名前シールやワッペンなんかも

かわいいものを選んで幼稚園に入れてくれた。

一部はいまだに使ってるくらいにいいものだった。

みんなとはちょっと違うかわいいものを持つ、という喜びをすでに知っていて、ランドセルもそんなふうに選べる期待があった。

少し大人っぽいピンク色のものにするか、

渋い感じのモスグリーンにするか、薄い青のにするか・・・

悩むのも楽しかった。

 

と同時に、CMで紹介されているランドセルも気になっていた。

軽くて機能的、裏地がかわいい、なんて映像で紹介されたら心も動く。

どっちにしようかな~と悩んでいる間に、仲人さんがランドセルをプレゼントさせてほしい、という話が舞い込んできた。

プレゼントしてもらうとなると通販のものを選べない、と説明されたが、それならそれで、CMで気になっているものにしようかなと思っていた。

 

どこで話がこじれたのか、父方の祖父母が買うということになった。

嫌な予感がした。

買いに行くといって連れて行かれたのは、全く同じ型しか置いていない店舗。

「どれがいい?」なんて聞かれても全部同じなのだ。

CMで流れてはいたが、まったく好きではなかったブランドのもの。

通りかかった仲人さんに、「好きなの選ばせてあげるよ」と

他のお店に連れてってくれようとしたので、ついて行こうとしたら

父に鬼の形相で止められた。

その状況を打破できる訳もなく、私はまったく納得していない

普通の真っ赤なランドセルを与えられた。

 

身内の恥を晒すのもどうかと思うが、私は父方のと折り合いが悪い。

「孫のランドセルを買ってやった」という世間体だけ欲しくて、最安のブランドに連れて行った彼らの浅はかさは、その後ずっと続く。

自分の中に、彼らに似た傲慢さや浅はかさなんかがあることに気付くたびに消えてしまいたくなる。血を呪う。

 

祖父母はよく「欲しいおもちゃはないの?」と聞いてきた。気軽に「今度買ってあげるよ」なんて言うくせに、その今度は絶対に来ない。責任感がないのか、根が嘘つきなのか。彼らはおねだりされることだけを楽しんでいたのだと思う。

ハローマックのチラシを切り取って待っていた「欲しいもの」は、手に入ることなく、切り抜きだけがよれよれになっていった。

だから、誰かに依存しなくてはならない子ども時代の「欲しい」感情は、歪んでいる。裏切られても傷つかないように。しつこく言って怒らせないように。

 

もっとまともな親戚が欲しかった、なんてね。

子供の頃に、環境に疑問を持つのは難しい。

大人になってから出会ったひとに対して

「ああ、この人は歪まずに育ったんだな」

という感想を抱いてしまう。

真新しいランドセルを目にする季節にはことさら。

 

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉