友人に機会をもらって、初めて朗読劇を見に行った。
この記事はネタバレを含み、その多くは友人と共感するための素材です。
感染症対策、という言葉が目にも耳にもすっかり馴染んだ世の中になってから初めてのイベント。
普段行かない駅に降りるというのも、ずいぶんと久しぶりだ。
会場についてからも、言葉少なに、秘密話をするみたいに、係の人に案内される。
ステージには、2つの白いソファー。それだけ。
ひっそりとした空気のまま、声の世界が始まった。
物語の始まりの歪な言葉が、音としての言葉を楽しませてくれる。
てにをは、助詞のめちゃくちゃな発話は、カタカタしたリズムで面白い。
活字で読んでもそのリズムに気付くことはなかっただろう。
声にすると愉快な言葉、という意味では谷川俊太郎展を思い出す。
大きく暗い部屋にぐるりと一周モニターが並んで、
1文字ずつ表示するのに合わせて、合成音声が詩を読み上げる。
牧歌的なようでいて緻密に計算された言葉のリズムが可視化された部屋。
めちゃくちゃな発話は、とても表情豊かで、何かに怒っていた。
幼年期の青年の怒り、と受け止めていたけれど
後に「僕は悲しみたかった。怒りたかったのではなくて」といった旨の発言があったのが印象的だった。
そうだよね。湧き出た感情を適切に表明するのは、むつかしい。
湖と、時計台、それと夕陽。
映像はまったくないけど、だからこそこの背景がずっとキラキラ鳴っていた。
湖が一年で一番美しい季節の、時間を止めたような世界。
ライトが落とされるたびに1年進むことに気付いてから、
綺麗な時間だけを切り取りたくって、2人は連続していないのだろうかということが気になった。
スマートフォンが当たり前の子供たち。メールをやり取りしている関係なら、ずっとやりとりしていてもおかしくない。というか、そうなるのが普通だろう。
でも、そんな様子がない。夏だけ、湖がキラキラしているときだけ。
夏そのものを、好きな人だけの世界にするために。
「手を上げて、体をゆらゆらさせている人をみました。おしっこを我慢しているのでしょうか。」
「それは踊っている人です。今度おしっこを我慢しているみたいな人を見たら、壁や床に触れてごらんなさい。音楽に触ることができます。」
雷は振動。音は漫画で見る。友達はいない。
声で紡がれる、音を知らない2人の物語。
だから、湖はキラキラ鳴る。
彼らは音を幽霊と呼ぶ。
あの日の幽霊で、ずっと消えないのが、松岡茉優さんの「うん、ほんとだよ」「ゆっくりさんは、目をさましたよ」というセリフ。
松岡さんは、すべてから救ってくれそうな声をする。
安心していいよ。幸せになっていいんだよ。言葉にしていない想いが乗る。
祈りの声。
私はこれを聞きに来たのだと思った。
聞いた瞬間も思ったし、あれから一週間経っても思う。
日常は細かな苦悩が散りばめられているけれど、
安心できるひとがいて、安心させてあげたい人がいて。
直接会うことはできなかったとしても
その記憶があるだけで、まっすぐで在ろうと思える。
その後の話はほとんど出なかったけれど
たぶんずっと、互いの存在は支えになってるんだろう。