他者にとってなんの意味もない記事になると思う。
初めて読んだのは15歳の頃。
高校受験の真っただ中で、それまでの人生ほとんど活字を読むことを習慣としていたのに、意識的に読む量を減らして勉強していた時期。
母が図書館から借りてきて、私をさして「(名前)みたいな人」という感想をぽろりと言っていたことをきっかけに、1冊くらいいいかと読んだのだった。
彼女が何を指して私みたいだと評したのかはわからなかったが、
確かに私だと思った。おそらく他者を置いてけぼりにしていそうな女子高生のかつごく一部の性格の集団が醸すノリもネイティブとして読めた。
小学生の時にはワープロで小説を書いていたし、それをもとに友人と漫画のようなものを描く試みをしたこともある。
そのころから保健室の常連だったし、どうやったってハード面で戦うことができない自分を自覚していた。
高校生の時にも読み返したこともあって、
そのころは文芸部に所属してガリ版のおそろしく時間がかかるプリンターで大量の印刷をして、時間の取り合いになることもあった。
忙しさが気持ちいいと思っていた。忙しすぎてたまに吐いていた。
どんどんこの本の経験を重ねていくなあと思った。
文章を書くことの体力が、せいぜい2万字だって自覚を得て、小説家はできないなと判断したのもこのころ。
手を伸ばせる可能性がいっぱいあったから、特に悲しい気持ちであきらめたわけではない。
で、初めて読んでから20年くらい経って今。
あの頃全く分からなかった首都圏の地理や出版社、社会的な立場なんかの知識が含まれて読むのは楽しかった。
今や世界で失われている、60円のパックジュースや、23℃以上で外に出ないこと、オレンジカードなんかが、時間の距離を感じさせる。
失われた環境の手触りを知っていること、そしてそれらを思い出させる本が残っていること。
かけがえのない存在だと思う。
母とはあまり精神的な繋がりを感じたことがなかった。友達みたいに話すことができる相手ではなかったし、なにより会話するのに緊張感がある人だった。
私だって、あらゆるところに不機嫌の種があって、元来話しやすい人間ではないという自覚があるから、もうこれは遺伝なんだなと思っている。和やかに話せる人間という仮面を装備しただけで。
だから、私に似ているなんて感想が的を射ていることにびっくりした。
あの人、私の事知ってたんだ。
食事と、清潔な住居を与えるだけの育成ゲームをしているんじゃなかったんだ。
別にこのことがあって関係性が劇的に変わったりなんかしていない。
なんなら更年期の嵐で、私が家を出るまでまともに関わることもできなかった。
生まれる前から見られてる関係って伊達じゃないな、という一つのエピソード。