息継ぎまで

長時間労働が続いて3か月ほどになる。

最初の頃はしんどかったけれど、もうこの生活サイクルに慣れてきて

あんまり疲れたなとも思っていない。

思うことをやめて、少しずつ身体を蝕んでいるんだろうなってことはわかってる。

原因不明の神経痛があること、急に神経性の腹痛になって動けなくなること、毎日のように痛み止めを飲んでいること。

丁寧に要素を上げたら、壊れてきてることは明白なんだけど

だからなに?それを理由に休める?

 

壊れかけを理由に自分と周囲を納得させるコストを支払うくらいなら

壊れちゃいたいなって思う。

 

と、半ば自暴自棄な記述を連ねたものの

このブログを始めるきっかけになった休職も、

これよりもうちょっとキツめの労働環境で身体を壊したことによるもので

休み方を心得ているので、人生をつぶすようなことはしない。

 

当時と違って労働の内容もやりがいあるし、なんだかんだ楽しいし

仲間は優しいしで、いわゆる働き盛りの充実感をここで得られてよかったとすら思える。

忙しさの中で講じてきたいろいろが利いて、少しずつ状況は改善しているし。

やっと、終わりも見えてきた。

 

家に帰れば至れり尽くせり労わってくれる人もいて

若い時みたいに不健全になる余地もない。

帰り道のメッセージの中で、何度感動したことか。

 

しんどい状況でも、表面に見える苦しみだけじゃないよって

こういう戦い方もあるんだなって思いながら過ごしてる。